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麻疹(はしか)の流行

麻疹は疱瘡と同じくらい大昔からあった伝染病です。しかし、この2つは流行の仕方が違っていた。江戸時代、疱瘡はいわゆる常在伝染病で、いつも誰かが罹っていた。その為、殆どの子供が幼児期までに疱瘡に掛かった。一方麻疹は滅多に発生しないが数十年をおいて流行し、ひとたび流行すると多数の死者が出る結果となった。それで麻疹は命定め、疱瘡は見目定めと言われた。麻疹は死に別れ、疱瘡は酷い痘痕面に変わってしまうという意。麻疹も疱瘡も一度罹れば生涯二度と罹らない伝染病である。その為麻疹は、流行が終わった後、次の流行が始まるまでの間に生まれた者が標的になった。20年後に流行すれば、20歳以下の者が麻疹になったのである。年齢が高いほど症状は重く命に関わる事が多かった。現代ではワクチン接種のお蔭で大流行は殆ど無いが、一時、ワクチン禍を恐れてワクチンを接種しなかった時期があった。その時期の子供が成人して麻疹になる事がある。その時症状が重いのは昔と同じである。我が国の麻疹流行の最も古い記録は998(長徳4)年である。無論それ以前にも大陸から伝来したであろうが疫病に麻疹の名が付いたのが長徳4年であった。その後、麻疹は数年から数十年を隔てて流行した。江戸時代260余年の間に麻疹が大流行したのは13回あった。その度に沢山の死者が出た。江戸後期、1803(亨和3)年に流行した時、当時の学者荻野台州(おぎのたいしゅう)は、「朝鮮半島で流行したものが長門に伝わり、それが全国に広がった」と述べている。鎖国下であったが、麻疹は入ってきたのである。1862(文久2)年にも流行があり、それは酷かった。同年の「江戸洛中麻疹疫病死亡人調書」によると、江戸だけで7万5981人が死亡したとある。しかし、江戸の各寺に残る記録によると、この年、流行病で死んだ人の墓は23万9862基に上るという。1862年の麻疹流行では、「麻疹絵」といわれる錦絵が数十種類も出まわった。それには麻疹の予防法や養生法、さらには麻疹の原因として邪鬼などが書かれている。麻疹に良いこと、悪いものを書き連ねているが、悪いものの筆頭に房事を挙げている。大人が罹ったからである。

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